エビデンスってなんですの?
理学療法のみならず、医療に携わる人は「エビデンスが大事だ」とよく言われますよね。
僕が主に関わる理学療法の世界でも
「その介入方法はエビデンスあるの?」
「エビデンスのある介入をしないとだめだよ」などと言われることがよくあります。
あれ、ありますよね?(笑)
もちろん、むやみやたらなアプローチや効果が得られていない介入をするとただ時間が過ぎていくだけになり、在院日数が延びてしまうということもあるため、エビデンスに基づいた介入を行うことは当然必要となります。
しかし、エビデンスをしっかりと理解しているのかどうか、僕個人としては曖昧でした。
そこで私、こちらの本を買いました↓
アメリカではスタンダードテキストになっているらしいですよ!(帯から拝借しました)
今回は自己研鑽も踏まえ、この中の内容を少し紹介していこうと思います!
目次
エビデンスって?
そもそもエビエンスとはどういう意味なのかを簡単に紹介します。
知ってますよそれくらいという声がタイピングしながら聞こえてきています(笑)
エビデンスとは、
と本書では書かれています。
まさかエビデンスの説明にエビデンスが含まれるとは思いませんでした(笑)
まあ、簡単に言うと「証拠」ですよね!訳したまんまですが(笑)
エビデンス、つまり証拠がないのにこの介入をしようっていうのは、テキトーな介入をしていると思われてしまっても無理はないですよね。
理学療法に限らず、例えば警察の世界でも
警「犯人はあなただ!」
犯「私はやってない!証拠はあるのか!」
警「証拠はないがたぶんやっているだろ!」
なんて展開はありえないですよね(笑)
患者さんにとって利益になるためにはエビデンスに基づいた介入が必要となってくるのがわかると思います。
エビデンスが必要とされた背景
しかし、元からエビデンスが必要とされていたかというとそういうわけでもありません。
ヘルスケアにエビデンスを使うことへの興味の拡大は、複数の問題が収束した結果であると言われています。
それには幾つかあります。
- さまざまな状況の管理における、明らかに説明不可能な臨床内容のばらつきに関する幅広い記述
- インフレに対して不釣り合いなヘルスケアの持続的な増加
- 医療過誤を取り巻く報道
- 以前は認められていた薬物治療の潜在的あるいは実質的な害の特定
- 科学技術評価やアウトカム研究の流れ
- インターネット技術の急速な発展
これらのことが重なった結果、エビデンスの必要性が増していった、ヘルスケア研究が普及していくこととなりました。
何が根拠に基づくのか?
またしてもそもそも論なのですが、何が根拠となっているのでしょう?
根拠に基づく医療という言葉も出ているくらいですからね。
↑聞いたことありますか?
これは医師に関連した用語であり、
個々の患者のケアに関する意思決定において良心的で、明確で、賢明な、現時点で最良のエビデンスを用いること
と言われています。
根拠に基づく医療の実践は、「個々の臨床的な専門性と系統的な研究による最も利用可能な臨床エビデンスの統合」を意味するとされています。
臨床的な専門性というのは、
臨床技能や能力の熟達であり、知識の持続的な拡大によって伝えられ、個々の臨床家が経験、学習、および内容を通じて発展させるもの
とされています。
つまり、専門性が高くないと根拠に基づく医療を行えないということになりますね。
また、重要なのは机上で得た知識の活用だけでなく、経験も重要だという点です。
実際に机上でいくら計画を練っても臨床では様々なことが起こり、予測不能な場面に遭遇することもあります。そうした場合の対処なども経験として蓄積され、それが何かしらの形で生かされていくのかなと思います。
最後濁してしまってすいませんorz 語彙力が...
「根拠に基づく実践」と「根拠に基づくヘルスケア」
上記2つの言葉は根拠に基づく医療によって記述されている行動と、他のヘルスケアの専門職を結びつけるために作成されている用語です。
また、次のような拡大定義を提示しています。
患者ケアに影響を及ぼす決定をする際に実施されるケアは、妥当で重要なすべての情報に従った重みづけによってなされる
エビデンスは臨床的な専門性に置換されません。
エビデンスと専門性は異なるのです。
- 専門性:臨床的な問題に対して1つの視点を提示
- エビデンス:より十分な意思決定のプロセスを伝える
このような違いがあります。
よくわかりませんよね。
ここを十分に理解するために少々長くなりますが本書に書かれている内容を踏まえて説明していきます。
用語にかかわらず、すべてのケースにおける暗黙のメッセージは、
臨床的な意思決定にエビデンスを用いることは、権威者や伝統から得られた知識になんら疑問をもたず信頼してしまっていることからの脱却である。
ここでいう権威者というのは大学などの教員やその領域のスペシャリストなどのことです。
伝統というのは、「このような患者に対していつも行っていること」、いわゆる習慣のようなものですね。
「膝OAの患者さんにはパテラセッティングをしよう」というようなものですね!
自分の中でのありきたりな方法が専門性、そこから幅広い視点からアプローチをするためにエビデンスを用いるというのが、上記にある専門性・エビデンスの違いですね!
(ちゃんと説明できているか不安...)
生物学的妥当性
権威者や伝統が示す知識は、生物学的妥当性や逸話に富んだ経験に基づいて展開された診断的および治療アプローチに由来すると言われています。
生物学的妥当性というのは
予測される様式で人の身体に作用するかもしれない合理的な期待
を意味します。
これは、臨床現象の初期の理解をしばしば反映しています。
新しい解決方法を必要とする新しい臨床問題と対峙するには、この知識形態はそれなりに役割を持ち続けます。
しかし、これだけでは不十分なのです。
この形態の知識に依存してしまうことの弱点は
「真の」効果への探求を書く結果、無効か、あるいは害すらある検査、測定、介入を選択してしまっている可能性があるのです!
つまり、意味のない介入、むしろ逆効果な介入をしてしまっている可能性があるということです。
このような人脾摘および経験則的な失敗は、個々の患者に関して何が間違いで、問題を扱うために何が最も効果的な手段か、ということに関する不完全で誤った結論を導く可能性があるのです。
そのため、ヘルスケア提供者は、限られたエビ炎スによって支持されている権威的、および伝統的な実践の根底にある事実について、意図的に再評価することが重要となります。
いかがでしょうか。
経験則だけでなくエビデンスのある介入をしっかり行う必要性が十分にわかっていただけたかと思います。
いろんな記事を並行して書いておりますが、エビデンスに関しても随時更新していこうと思います。
今回はこの辺で!ではでは✋